SOUNDSCAPE OF ANXIETY

​不安のサウンドスケープ

PROGRAM NOTE 

 コロナ禍の中、音楽のプレゼンテーションの方法として「無観客配信」「オンライン・アンサンブル」という形態が急速に普及していった。前者は観客のいない無人のハコの中で演奏者が集まりパフォーマンスをすることで、後者はインターネット・アプリケーションを経由して奏者同士が遠隔の状態で合奏を行うことを指している。いずれもこうした非常事態に対する音楽家による即時的なアクション/抵抗であり、これに賛成も否定もするつもりはない。しかし、「無観客上演」や「オンライン・アンサンブル」では主客双方の「軽やかさ」というアドバンテージを獲得すると同時に、従来のコンサートというメディアが条件とするコンサートホールといった「場所」が持つ強度が当然ながら失われてしまう(個人的印象だが、オンライン・アンサンブルの多くは、ほとんど温室栽培の人工植物のように感じられる)。その結果が音楽家による単なるアリバイ工作に帰結してしまっている例はこれまでいくつか見られている。最も警戒すべきなのは政府や一部のカリスマによって叫ばれる「文化の力」なる前世紀的なスローガンに「無条件に」同調し、こうした興行に軽やかなに乗じてしまうことにある。音楽、美術、ジャンルにかかわらずアーティストはいかなる時もしなやかに狡猾であるべきだ。

 このような有事における僕の持つ個人的な欲望を述べると、あらゆる異常時にはその下でしか発現しない特異な状況があり、それに対し応答しそして固執していきたいと考えている。音環境を例にすれば、3.11の際の延々と繰り返されたテレビ・コマーシャルの音楽(/サウンドスケープ)は強迫的に多くの人々の心身に——少なくとも僕自身には——刻まれた。このような日常から乖離した「特異点」は、日常的なものをオルタナティブな視点から捉え返すひとつの契機になり得る。

 この「特異点」として僕が注目しているのは「沈黙」、具体的にはコンサートホールなどのライブスペースにおけるそれだ。音楽におけるあらゆる沈黙は、音の終わりとともに始まり、始まりと共に中断される。この沈黙はフレージングや楽章、楽曲、幕間など様々なレベルで存在しているが、これらを総じて「期待の沈黙」と僕は呼んでいる。しかし、ライブやコンサート等の興行活動が半ば禁止されたことで行われず、いつ再開されるとも知れぬ現在、その空間にあるのは「期待」ではない。終わりも始まりも分からない「不安の沈黙」だ。

本作品はこの「不安の沈黙」をインターネットを介しひとつの部屋に収集したものとなっている。昨今の音楽と物理的なライブスペースの切断によってそれまでその場所に無条件に隷属していた音楽家たちは、同じく無条件にサイバースペースに隷属するように(/せざるを得なく)なった。しかし、これまで暗黙の了解とされてきた様々な前提が崩落してきているいまこそ、日常では不可視/聴な地盤へと目と耳を傾けることができるのではないか。あらわにあったパルテノンのごとき歴史的オブジェクトの中で、音楽のこれまで(過去)と、そして「これから」への検証を試みていきたい。

小野龍一

/本作品の無断での録画・録音はおやめください。

/イヤホン、ヘッドホンでの鑑賞をおすすめいたします。

/スマートフォンとPCでは体験が異なります。ぜひお試しください。